う蝕リスクの評価法の変遷
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 歯科医療の現状を見ると,歯科医院の来院主訴は,大半が病苦を訴えることが条件となっている。この病苦に対し,病名がつき,治療行動がとられ,保険請求をするというのがパターン化している。病名の欠落は許されず。診断名が付かなければ,保険からの支払いが実施されにくい。ここに主訴を”希望”とすることは,保険歯科医療からの逸脱を意味し,いわゆる自由診療へとなるわけである。歯科疾患,とりわけう蝕は,自然治癒の無い疾患であることは衆知の事実でありながら,病気にならなければ保険が支払われない。このことは,現代のような健康指向社会から観ると時代錯誤ではないかと考えられる。一時代前の公衆衛生全盛時代は,保健所を中心とした衛生事業が盛んであった。現在は地域保健法の成立,地域保健事業の整備など,対人保健サービスの充実が求められているのである。しかしながら,前記したように,病気にならなければ,支払われない保険,健康への希望を書けない主訴,このような実状は,国民のみならず,われわれ歯科医療関係者,従事者にとって,社会的な要請にさからう不適切な状態であると考えられる。歯科医師法にも国民の健康を増進することが目的となっているのである。このような状況において,歯科疾患を有さない人に関する歯科健康相談は,日常臨床では敬遠されがちである。このような人に対するう蝕リスクの評価,また,治療修了者に対するう蝕リスクの評価など利用場面は多いはずである。 個人の歯科医院では健康増進の事業を実施しにくいのが現状のようである。う蝕のリスク評価は,対人保健サービスの面からも,日常歯科臨床においても重要な問題であり,われわれの領域においては,生涯にわたる歯科保健管理・保健サービス上意義のある事と考えられる。このことを,踏まえて,う蝕リスクという概念が,現在までどのような経路を経てきたのか述べてみる。

う蝕活動性とう蝕リスク

 いわゆるう蝕リスクを述べる前に,リスクと言う言葉であるが,疫学辞典等から判断すると,生活習慣病(慢性疾患)においては,日常生活にある種の発生要因があり,この発生要因をリスクファクターという。このリスクファクターの存在を,数量的にあるいは質的に示したものが,その生活習慣病のリスクと考えてよい。従来われわれの領域において,このようなものを扱っていたのは,口腔衛生学の教科書をみてもらえば解ると思うが,う蝕活動性試験のところにある。表1から3には,う蝕活動性試験法を示した。愛知学院大学の中垣先生がまとめられたものである。う蝕活動性試験法については,う蝕感受性,う蝕抵抗性,う蝕進行性という概念がある。それぞれ,う蝕になりやすいかどうか,う蝕に対して抵抗性があるかどうか,今あるう蝕が進行性のものかどうかを判定するとなっている。表4にはう蝕研究の略年表を示した。う蝕活動性試験法はう蝕の原因を求める研究から始まっている。このう蝕研究と同時に進行してきたう蝕活動性試験法の研究はさまざまな修飾を受け応用研究へと進んでゆく。臨床上どのように応用するべきであるか。どのような場面で用いるべきであるか。効果は,さらには有用性はどのようなものであるのか等である。この応用研究の中で生じてきた,あるいは時代の要請から生まれてきた言葉がう蝕リスクである。Bo Krasse が著した Caries Risk(う蝕リスク)という本がある。1985年刊のこの本は,新書版大の小さな本である。

 1)う蝕活動性試験の応用研究
 う蝕活動性試験の応用研究は,種々の研究パターンがある。この試験を@う蝕診断に用いるもの。A保健指導上,動機づけの材料とするもの。Bスクリーニング試験の一つと考えるもの。C口腔内環境を評価する要因の一つと考えるものなどである。 う窩内部の状態を調べ,そのう蝕が進行性か慢性かを判定したりするのは,う蝕の診断に用いるものである。Arninn, S.S.は,歯垢の酸産生を動機づけに利用することを報告した。多くの試験法は,う蝕との関係について求めて・報告したものである。したがって,各う蝕活動性試験はスクリーニング試験としての応用性が容易であった。いくつかのう蝕活動性試験法とう蝕経験歯数(DMFT)との関係を示したのが図1〜4である。試験法とう蝕の関係は相関を認めていてもバラツキが大きく,一定の結果を得るのが難しいのである。ここに,多項目の同時測定が生まれてくる。疫学的には,クロス集計は精度を向上させることが明らかとなっている。単独の試験法を利用するより,複数の試験法を応用することに注目が集まってくるのである。Israel Kleinbergは,多くのう蝕活動性試験や個体の検査法があるが,今のところ最も良いのが唾液の緩衝能を測定する方法であると述べている(1978年)。う蝕活動性試験の単独測定とその限界を述べているようである。

 2)う蝕活動性試験の応用概念
 RundegrenとEricsonは,複数の試験法を用いてう蝕の発生との関連を求めている(1978年)。う蝕研究が20世紀初頭から原因追求が中心であり,要因別に研究が実施されてきた。1961年のKeyesの3つの輪から,複数の要因を用いる研究が見られるようになる。1979年のMuhlemannの報告は,食餌性炭水化物の作用時の歯垢の酸産生と,それに続くpH低下がう蝕発生予測に重要であることを述べている。 日本においても篠宮はStephan curveを用いて,pHの低下量を,重さで評価する方法を報告している。この方法は,いわば積分法である。この頃から,複数の試験法による多重スクリーニング法が報告されるようになった。そして,その複数の要因を統合する研究が多くなる。また,1978年にはNewbrunのCariologyのなかで,Keyesの3つの輪に時間要因が付加されたことにより,慢性疾患(生活習慣病)としてのう蝕の再認識がされるのである。ここに来て,先ほどのリスクの定義にあったように,リスクという言葉が注目されるようになるのである。リスク判定は,慢性疾患や成人病のアプローチにしばしば登場する。喫煙量と肺ガンの関係では,喫煙者は約8倍のリスクを持つ等といわれていたのを,皆さんは覚えていらっしゃると思う。さらに,複数の要因を調べることは,時間的にも手技的にも困難な場合が多い。う蝕活動性試験法の簡易化を図る報告が多く見られるようになるのである( 中尾ら,1982年;Larmas,1985年)。

 3)う蝕リスクの評価法
 リスクファクターの存在を,数量的にあるいは質的に示したものが,その生活習慣病のリスクとなるわけであるから,う蝕活動性試験はこれにあった最適な方法である。同時に,生活サイクルや食性,間食習慣などもう蝕リスクの評価項目として成立する。う蝕リスクの評価方法としては,数量的に表す方法と質的に表す方法があるわけである。関連性を求めてきた研究が多く,結果を読むことが難しいと言われる。よく用いられる方法は,@カウント法(数え上げ法)である。この方法は各う蝕活動性試験の集団内分布から,平均値を求めるか,明らかにう蝕活動性の高いと思える基準値を求め。個体の結果がいくつの負の要因(う蝕誘発要因)を持つかを数え上げる方法である。ほかの個体と比較するために,同数の試験法を用いて,その中で基準値を上回るものがいくつあるのかを数え上げるのである。10種類の試験を実施した場合,そのうちいくつがよくなかったかを数えるのである。するとA氏は4つ,B氏は2つ,C氏は8つと言うように比較できる。RundegrenとEricsonの報告やCariogramは,この原理にしたがって作成されたものである。さらに,多項目の同時比較のためにつくられたレーダーチャートや比較棒グラフもこの仲間に入れてよい(図5)。次にA重みづけ法がある。この方法は,各試験法にある程度のう蝕発生力ともいうべき係数を与えるのである。乳幼児期には食餌回数,間食回数や離乳時期が大きな係数を持ち。学童期には歯口清掃度あるいは唾液緩衝能などが高い係数を持っているなどである。この係数と程度の係数を掛け合わせたものがよく利用されている。この積分値はファクターのう蝕発生力を持っているわけであるから,各自に与えられた総計値が,そのままう蝕発生力につながり,異なった試験で調べた個体でも比較・評価することが可能である。ただし,この結果は確率的な問題を多く含んでおり,解釈が難しい。単純に分布割合などを係数として応用する際には,同じ試験法を用いて比較するのがよい。よく数量化理論を用いて生活環境を解析したものや,重回帰分析などの線形代数を用いて解析している研究をみとめるが,この係数を求めているのである。さらに,故意に分類・個別化をするために,この係数を個体分散が最大になるように設定する方法もある。いわゆる判別分析である。このほか多変量解析については,重回帰分析や判別分析が医療現場での応用性が高いことから,しばしば利用されるようになってきている。判別分析に関しては,1980年代半ばより学会誌等に見られるようになり,う蝕のリスクを判定をしようというものや,う蝕以外にも,進行性の歯周疾患か否かを判定しようとするもの等も見られるようになった。いずれにしても,患者や来院者にたいして適切な診断・判断ができるようにする努力の現れであろう。

結 語

 う蝕リスクの評価方法としてう蝕活動性試験法を述べた。慢性疾患(生活習慣病)としてのう蝕の解釈が生まれなかったら,発生しなかったう蝕リスク。現在はう蝕学の中でも重要な概念である。また,う蝕リスクの判定は,う蝕の発生予防,口腔内の健康管理など応用範囲はひろい。国民のよりよい健康生活の確保からも是非利用したい方法である。病気でないと診療できない,診療しない。ではなく,積極的な健康づくりに参加してほしい。また,参加できるような歯科医療の環境整備を求めているのは私だけであろうか。

参考文献

  1. 口腔衛生活動マニュアル,医歯薬出版,東京,69頁,1987.
  2. スタンダード口腔衛生学,学建書院.東京.115頁.1992.
  3. Krasse, B.: Caries Risk A Practical Guide for Assessment and Control. Quintessence Publishing Co.,Inc.,Chicago,Illinois, USA. 1985.
  4. Arnin, S.S.: How to educate high school students in oral hygiene.J.H.P.R., October,33,1960.
  5. Rundegren, J. and Ericson, T. Actual caries development compared with expected cares activity, Community Dent. Oral Epidemiol., 6: 97, (1978).
  6. Keyes, P.H.: Recent Advances in dental caries research. Bacteriology. Bacteriological findings and Biological implications.Int. Dent. J. 12. 443.1961.
  7. Muhlemann, H.R.: Sugar substitutes and plaque telemetry in caries prevention. J. Clinical Periodont.,6,47,1979.
  8. 篠宮真琴:食品の歯垢pHにおよぼす影響とその個体差に関する研究.口腔衛生学会雑誌.32巻.4号.33頁.1982.
  9. Newbrun, E.: Cariology. Baltimore. USA. : The Williams & Wilkins Company. 1978.
  10. Newbrun, E.: Cariology.2nd Edition. Baltimore. USA.: The Williams & Wilkins Company. 1983.
  11. Kleinberg, I., Ellison, S.A. and Mandel,I.D. (ed.): Saliva and dental caries, Information Retrieval Inc., New York and London, 1978.
  12. 中尾俊一, 他: 歯科臨床における口腔環境評価へのアプローチ. 日本歯科評論, 474号, 213頁,(1982).
  13. Larmas, M.: Simple test for caries susceptibility. Int. Dental Journal, 35: 109-117, (1985).

う蝕研究の略年表

(資料提供:小野澤 裕彦・助教授 明海大学歯学部口腔衛生学講座・〒350−0283・埼玉県坂戸市けやき台1−1)

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